そこからこそ|生きる強さという安心感をあなたに。

「わたしは弱い」を「だからこそ強い」に変えるアトリエ。

もっと、もっと、外へ。

 

最近、ますます自分に嘘がつけなくて
自分への正直さに磨きがかかってきた。
 
 
そんなわけで先日
知らず知らずに我慢してた想いを
描いて爆発させてみたんだけども。
  
ビッグバンだなって、思った。
 
 
 
芸術は爆発だ」の言葉が
ドドドと響いた。
 
「生きるって、爆発なんだ」
「もっと爆発させたいんだ」
 
「もっともっと外に外に
はじけて出ていきたいんだ」 
 
 
 
描きながら
下の方からメラメラと力が湧き起こった。
 
いったいぜんたい自分のどこに
こんな力が隠されてるんだろう。
 
20191111181705
 

あなたがもし
もっと、もっと、外へと
自分を開いていきたいのなら。
 
 
誰の許可もいらない。
何の準備もいらない。
 
 
あなたには
もうすでに力がある。
 
そして、あなたを必要とする人がいる。
 
 
いつまでも
あなたはそこにいる必要はない。
 

 
あなたのその想いを
どうか止めないで。

 

20191111181654

 

 

 

 

 

 

 

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Instagram(インクアートとあなたへの言葉)

自分なりのインクアート、新たに、はじめます。

"新たに、はじめます"
 
 
私は、上手な絵は描けません。
美術を専門的に学んだこともなく
 
全て独学です。
 
 
なので、こういった場所で絵を投稿させていただくとき
とても、どきどきします 笑
 
 

20191004123259

 
 
でも、描いている最中や
描いた作品から
 
私自身が強く強く、力を、言葉をもらいます。

「あぁ、この子は生きてるなぁ」って感じます。
 
 
そして、私の絵や投稿を見て下さった方から
応援や、優しくあたたかいメッセージを頂いています。
 

勇気を出して投稿をし始めて、本当によかった!
みなさん、いつも本当にありがとうございます♪
 
 
 
 
私は、ひとつの作品に、命を懸けています。
 
全身と全霊をかけます。
 
そうするしか、向き合えないものだと思っています。
 
そして、そうすることしかできません。
 
 
 
 
でもそれは
私の想いだけを込めているわけではなくて。
 
 
「受け取って」描いている感覚や
「描かせてもらっている」感覚があります。
 
 
なので、上手く描こうとすると描けません。
 
最近絵が描けなくなったのは
綺麗に、上手く描こうとしていたからでもありました。
 
 
 
 
でも、
うん、うん。
よし、よし。
 
 
パチっと何かが弾けたような感覚と同時に
いま、とてもスッキリとしています。
 
混沌とした感覚から振り切れたような
ハマったような感じ。
 
 
 
 
そして本当にありがたいことに、ここ最近
絵のご依頼やお問い合わせを
色々な出会いの方から頂いています。
 
 
 
私ひとりが形にするのではなく、
 
「あなた」の想いの種を受け取って
一緒に開花させるインクアート。
 
 
 
初めてなことばかりなもので
本当にわくわくドキドキしております。
 
ありがたく、ありがたく。
ひとつひとつを、魂込めてお作りしています。
 
 
 
 
不安定なカオスに揺さぶられた時期は
この再スタートの為だったのかもしれないなぁ。
 
どんなに揺らいでも
この私だから、大丈夫なんだって。
 

 

「大丈夫大丈夫、そのまんまそのまんま」


そう、再確認させてもらえました。
 
 
 
 
さぁ!
これからを少しずつ、拡げて行きまぁす!
 
絵のタイトルは、「チカラ」です。

 

20191004123247

 

 

 

 

 

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Instagram(インクアートとあなたへの言葉)

あなたが何者にもなれないのは、その必要が無いからだ。

 
 

誰かのようになろうとしても

あなたは何者にもなれない。

 

なれないのは、ならなくてもいいから。

元々その必要が無いから。

 

 

あなたがあなたとして生きるために

この世に生まれてきたように。


あなたはあなたでしかないのだから。

 

 

そのままのあなたで

もうすでに、完璧な存在なのだから。

 

 

---

 

 

たとえば、

 

「あの人、すごいな」って

あの人になろうとしてみるけど

 

頑張ってもなぜか

あの人にはなれなくて。

 

 

 

「あの人にはできて

なんでわたしには出来ないんだろう」って

 

憧れの人みたいになれるように

いっぱいいっぱい、頑張ってみたりして。

 

 

 

頑張ってもなんだかしっくりこなくて

もっともっと頑張ろうとするたびに

 

心も身体もどんどん、重くなっていく。

 

 

 

心も身体も、なんて正直なんだろう。 

 

「本当はそんなことしたくない」と

ストライキを起こす。

 

その正直さがとんでもないことに思えて

ただただ見て見ぬふりをしてしまうときもある。 

 

 

 ---

 

 

たとえば、

 

「今の自分とは違う、なにかにならなければ」と

その「なにか」を追ってみるんだけど

 

なんだか違和感。

なんだか違う気がして。

 

 

色んな色んな

「今の自分を変えてくれそうななにか」

に手を出すんだけど

 

その「なにか」は、

本当の意味で自分自身を変えてくれるものではなかった。

 

 

---

 

 

たとえば、

 

今の自分でいることが

なんだか不安だから

 

「いやいや、わたしなんて」と

人よりも一歩二歩、後ろに隠れて。

 

 

「このままの私で目立ったら

なにか怖いことが起きる」

 

そうどこかで不安に思ってしまったりして。

 

 

 

なるべく、他の誰かと同じようにと。

 

自分を消すことばかり考えていたことも

あるかもしれない。

 

でも、同じになれない自分もまた

悲しく思ってしまったりして。 

 

 

---

 

 

なれないのは、ならなくてもいいから。

元からその必要が無いから。

 

あなたは何者にもなれない。
あなたはあなたでしかないのだから。

 

そのままのあなたで
もうすでに、完璧な存在なのだから。

 

 

--- 

 

 

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赤は青にはなれない。

黄色は緑になれない。

 

でも、赤は赤だし、黄色は黄色で。

 

 

あなただけのそのままの色に

あなただけの役割があるのだとしたら。

 

 

 

あなたのカラーは

他の誰にもなれない、唯一無二の存在感。

 

 

 

あなたは、もう充分に「なにかになろう」と頑張ってきた。

 

これからは、その素の、元々の、あなたの、ままで。

 

あなたは、もっともっと目立っていいのだ。

 

もう、誰かと同じようになろうとしなくていいのだ。

 

 

---

 

 

世界は、あなたがあなたを

ありのままに鮮やかに生きることを望んでいる。

 

世界の方が

あなただけのカラーを、必要としている。

 

 

 

自分の鮮やかさを、華やかさを、艶やかさを。

 

上からなにかを塗らなければとしなくとも。

 

もう、隠さなくていいのだ。

 

もう。 これ以上。

 

 

---

 

 

でももちろん

なにかになろうとしたっていい。

 

 

大嫌いなあの人や

傷付けてきたあの人たちのような

 

「あいつらみたいになるもんか」

そう思うような人にも、なったっていい。

 

「なっちゃダメ」と思っているものに

なったっていい。

 

 

 

そして

「なににもならないそのままの自分」

それも、本当は選ぶことができる。

 

 

なってもいいし、ならなくてもいい。

 

ぜんぶ、ぜんぶ、"わたし"が選べる。

自由に選べる世界に、私たちはいるんだな。

 

 

---

 

 

色と対話していると

色々なことを教えてくれます。

 

この色と、この色と、この色、って

色の「個性」や「違い」を選んで。

 

 

色の違いを見比べても

「ただ違う」だけしかない。

 

 

 

『ただ、違う』だけ。

 

 

 

そのただ違うだけの一色一色を

きれいだなぁと思いながら描くとね。

 

色と色が交じり合って

もっともっと鮮やかになってくれる。

 

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わたしたちも、一緒なんだよね。

 

 

誰にも代わることのできない

「隠しきれない」美しさを

 

私たちはもう、すでに持っているんだ。

 

 

 

だから私たちは

肉体を持って生まれてきたんだと思う。

 

 

肉体そのものは交じり合えないからこそ

教えてくれているんじゃないかな。

 

『ただ、わたし』

『ただ、あなた』

 

 

ただ違うだけ。

ただそれだけなんだと。

 

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これから、何に命を使いたいだろう。

今まで生きてきて

本能的にわかったことがあります。

 

それは

「ここまで生きてきた自分は、ものすごく強い」

ってこと。

 

 

「何かを成し得ないと」とか

「何かにならないと」とか

 

その前の前のもっと前に

「ただ生きている」だけでも

「今日を生き抜いた」だけでも

 それって、ものすごいことをしてる。

 

 

「いのち」を燃やして生きているんだから。

 

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以前、寝たきりになったとき

衰弱していくその自分の身体には

 

いつも

「こなくそ!」って

生きようとする力があって。

 

 

出そうと思って出してるわけじゃない。

 

でもなんだか

自分の奥の奥の方にいる自分から

 

 「ごたくはええからとにかく生きる!」

って言われているような

強い強い叱咤と激励。

 

 

「いのち」を

「生きること」を

 

 「思い出せ!」って

「自分の強さをなめるな!」って

 

ずっと、そう言われているような気がして。

 

 

死を感じていたそのときに

 「生きることを、諦めてたまるか」

って、思ったのです。

 

 そして同時に

 「生きることって、強い」ってことを

刻み込まれたような気がします。

 

 

 「ひとって底なしに強いな」って

いつも思うんです。

 

どんなに苦しい思いをしても。

立ち止まって動けなくなっても。

 

そこから、だからこそと

生きていこうとしていける力がある。

 

そしてまた

生き直していこうとしていける強さがある。

 

 

なんて、強いんだろう。

なんて愛おしくて、たくましいんだろう。

 

 

 

「使命」って

命を使うって書く。

 

文字通り、私たちは日々

命を使っているんだと思う。

 

 

生きることも、命を使う。

食べることも寝ることも。

 

好きなことにも嫌いなことにも

同じように命を使っていく。

 

 

じゃあ、これからどんなことに

命を使っていきたいだろう。

 

 

 

生きることって、強い。

生きてるだけで、ものすごい。

 

そのあなたのいのちはこれから

どう生きていきたいと思っているだろう。

 

 

 

いのちは、いつもあるもの。

いのちは、いつかは終わるもの。

 

命を使う「理由」が本当にわかるのは

生き終わったときだと思う。

 

 

だから今は

自分の、誰かの、生きるしあわせの為に

私はいのちを燃やしていきたい。

 

 

 

誰しもの

「あの時の自分」は

いつも必死に生きていた。

 

こんなにも色々あっても

こうやって生きて生きて

生き抜いてこられた自分。

 

 

それこそ、自分の強さのあかし。

 

 

そしてその自分という力強い存在は

きっとこうも言っていると思う。

 

 

 

「なめんなよ、これからの自分をよ」

って。

 

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誰かの想いを表現していきたい私が目指すもの。

想いを伝えることを
言葉を表現することを
 
どこまでも諦めたくないみたいだ。
 
そんな自分に降参することにしました。
  
 


 
幼い頃から口下手で
 
言葉にすることが
とっても苦手でした。
 
 
それでも
確信的にわかっていたことがあって。
 
それは、
 
「自分の中には、言葉にならない想いが
溢れて溢れてとまらないくらいに
めいっぱい存在してるんだ」
 
ってことでした。
 
 
 
 
何度も何度も
相手にどう思われるかが怖くて
言いたいことを伝えるのを諦めようとしたし
 
何度も何度も
「言ってもどうせ無駄だよ」って
 
言いたくてたまらない自分の想いを
見て見ぬふりしようとしてた。
 
 
 
それでも
 
本当の想いってさ、消えないんだよね。
本当の願いって、諦めきれないんだよ。
 
 
 
無理矢理消そうとしても
自分からは離れないし
 
力づくで諦めようとしたら
心や身体に出てくるし!笑
 
 
 
本当に苦しいのは
想いがあるのに
 
蓋をして、無かったことにして
見て見ぬ振りをする自分自身だから。
 
 
 
 
ときどき
言葉にしたい想いが
言葉に出来ないタイミングが来るんだけど
 
そういうときって
ものすごく不安になるし、もどかしい。
 
 
掴めそうで掴めない感覚。
掴みたいのに掴めない感覚。
 
 
 
 
なので、無理やり言葉にしようとせずに
 
踊りで身体に聴いたり
無我夢中で絵に打ち込んだりしていたら
 
 
『ある』って感覚が
湧いてきたときがあって。
 
 
形になってないだけで
自分のなかに「何か」が
ちゃんと、ちゃんとある。
 
その感覚を追っていったら、
 
 
 
『私はここにいる』
 
 
 
って言葉が、涙と共に湧いてきた。
 
「心配しなくても
あんたは、あんたの想いは
ちゃーんと、ここにいるで」って。
 
 
 
大きな大きな、愛だった。
 
 
 
 
みんな、色んな想いを抱えている。
 
ほんとは、こうしたい。
ほんとは、したくない。
 
 
「私は私に、そう願っている」
 
そんな魂の奥からの
澄んだ想いを持っている。
 
 
 
 
自分が気づいている想いもあれば
気づかないけど、確かに「ある」想いもある。
 
 
そんな、気づかないけど確かにある想いに
気がつくきっかけになれる表現を
私は目指していきたい。
 
 


「想い」を思い出せるような作品を。
「言葉」を咲かせられるような表現を。
 
 
こうやって書くの
すんごいどきどきするけど!
 
まだまだ未熟だってわかってるからこそ
諦められない自分に降参!

この場を借りて改めて決意です( ´ ▽ ` )

 

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光と闇の間の話。

 

悩んでいるときって

それ自体に注目しすぎて

 

それ以外のものに

背中を向けているときなのかもしれない。

 

 

焦っているときって

"それ"をどうにかしようとするから

 

「"それ"をどうにかしないと解決しない」って

思い込んでいるときなのかもしれない。

 

 

 

光をじっと見続けると

くらくらして見ていられない。

 

そういうときは

少しの暗さに戻って目を慣らす。

 

 

闇をじっと見続けると

次第に目が慣れてくる。

 

それは、ささやかな光が

辺りを照らしてくれていることに

気がついて行くから。

 

 

 

どちらかに偏っているときって

それ「だけ」を見ているとき。

 

 

でもほんとうは

それ「以外」も沢山あって

 

案外それって

自分を救ってくれるものだったりする。

 

 

ついつい

白か黒か良いか悪いかで

判断してしまいがちだけど

 

それって

ただ「それだけしかないんだ」って

思い込んでいるときでもあるなぁって。

 

 

 

光って、まばゆいものばかりではなくって

 

蛍のように

静かでかすかな明かりもある。

 

 

闇って、真っ暗で怖いものばかりではなくって

 

木陰のように

ひっそりと自分に寄り添ってくれる暗さもある。

 

 

 

光の中にある闇。

闇の中にある光。

その間にあるグラデーション。

 

もしかしたら

そんな絶妙なところにも

 

自分の「ちょうどいい」

ポイントがあるのかもしれないね。

 

 

そんな選択の自由に

繊細に気が付ける自分でありたいなと思う。

 

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立ち止まることは、自分に還ること。

 

「立ち止まる」って

「自分に還ること」だと思う。

 

 

去年から

ひきこもり当事者や経験者の方々と

一緒にお仕事をしています。

 

私も10年以上前

頑張りすぎて心と身体を壊して

強制的にシャットダウンしました。

 

 

寝たきりになり

外にも出れず人が怖くもなり。

 

それを自宅療養兼、

ひきこもり期間を過ごすことで

時間をかけて少しずつ

自分を取り戻していきました。

 

 

私にとっては

「たったひとりの私」を思い出す

必要不可欠な充電期間。

 

その後の人生の

大きな分岐点になりました。

 

 

 

今まさに、ひきこもりから

「よいしょよいしょ」と、

少しずつ自分の人生を

拓いていこうとしている人達がいます。

 

 

こちら側がなにかしてあげようとしなくても

ただ一緒に時間を過ごして、一緒に考えて。

 

そして少しずつ、少しずつ、

変わっていくんだと決めて変わっていくその姿。

 

 

立ち止まりながらも

自分の足元を確かめながら

次の一歩を踏みしめていこうとする姿。

 

 

その姿はやっぱり、底なしに強く。

 

たくましく愛おしいと思うのです。

 

 

 

ずっとずっと

動き続けられる人なんかいない。

 

あの時、立ち止まってみて初めて

自分がこんなにも息を切らして

歯を食いしばりながら走っていたのだと気が付いた。

 

 

立ち止まったとき

私の横をスイスイっと通り過ぎていく人達を見て

「早いなぁ」って思った。

「そんなに早かったら疲れちゃわないかな」って。

 

 

そこで

「あ、私のいた世界は、私にとっては早かったんだ」

そうわかったのでした。

 

 

 

 

ゆっくりと過ごした「ひとり」の時間は

散り散りバラバラになった自分の欠片を

一個一個、確かめていく作業のようでした。

 

 

足を止めて

ゆっくりと周りを見渡してみると、

 

そこへ広がっていたのは

自分を置いて行ったりしない

どっしりとした「ただそこにある」世界でした。

 

 

 

止まることは、確かに怖くもあって。

 

止まったら、周りに置いていかれそうだと

思ってしまうときもある。

 

 

でも

自分以外の何かに合わせて走り続けてたら

苦しくなるのは、当然だもんね。

 

苦しいまんま走り続けてる自分が

一番に苦しいんだから。

 

 

その苦しい自分を

自分が救ってあげなければ

誰が救ってくれるだろう。

 

 

 

だからさ、立ち止まって良いんだよ。

 

もしも全速力で毎日を突っ走っていたのなら。

もしも進まなければと息を切らしているのなら。

 

あえて立ち止まって、良いんだよ。

 

 

そしてゆっくりじっくり

ひとりの自分の「生きている実感」を

思い出していけばいいんだと思う。

 

 

 

立ち止まるということは

本当の自分の速度に戻る時間。

 

本当の自分を思い出す

「自分に還る時間」なんだと思うのです。

 

 

最近ね、

「いのち」を感じる絵ばかり描きます。

 

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