「自由に生きたい」って思う。
しがらみとか、ルールとか
「自分を縛るもの」「自分を制限するもの」
そんな「不自由」なものから
解き放たれたいと思う。
だから、手あたり次第に「自由」になってみる。
羽目を外してみる。
いつもはやらないことをやってみる。
それがあれば自由になれそうな何かに、手を出してみる。
でも次第に、それは本当に自分が自由になれたことには
ならないことに気がついてくる。
--
うまく描けなくなったとき
「自由に描きたい」と思った。
それって、誰に思ってるのかって
『自分に』だった。
「自由に描いた絵が悪く言われたらどうしよう」
「万人受けする表現にしといた方がいいよな」
「あの人はこう言ってるし、それを参考にして」
そんな自分に向かって
「自由に描かせてよ」って、思ってた。
「自由に生きていきたい」って思ったとき。
「でも自由にやったら食べていけないし、やっぱり無理だよ」
「あの人はこう言ってたし、だから難しいんだって実際」
「今までも無理だったんだからさ、しょうがないんだって」
不安だからと諦めようとする自分に向かって
「自由に生きさせて」って、思ってた。
自分が自分を引き留めていた。
自分が自分を縛って、檻に閉じ込めていた。
外からは「安心」「安全」に見える檻に閉じ込めて
自由にさせないようにしてた。
不安になるのは、不自由を感じるから
人が不安になるとき。
それは、「不自由」を感じるとき。
不安だから自由になろうとしても、それは不安な自由。
あなたは何から解き放たれたいだろう。
あなたは何から自由になりたいだろう。
もしかしたら
あなた自身の「不自由な思い込み」からかもしれない。
<こちらもやってます>
・Instagram(絵と言葉集)