そこからこそ|生きる強さという安心感をあなたに。

「わたしは弱い」を「だからこそ強い」に変えるアトリエ。

これから、何に命を使いたいだろう。

今まで生きてきて

本能的にわかったことがあります。

 

それは

「ここまで生きてきた自分は、ものすごく強い」

ってこと。

 

 

「何かを成し得ないと」とか

「何かにならないと」とか

 

その前の前のもっと前に

「ただ生きている」だけでも

「今日を生き抜いた」だけでも

 それって、ものすごいことをしてる。

 

 

「いのち」を燃やして生きているんだから。

 

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以前、寝たきりになったとき

衰弱していくその自分の身体には

 

いつも

「こなくそ!」って

生きようとする力があって。

 

 

出そうと思って出してるわけじゃない。

 

でもなんだか

自分の奥の奥の方にいる自分から

 

 「ごたくはええからとにかく生きる!」

って言われているような

強い強い叱咤と激励。

 

 

「いのち」を

「生きること」を

 

 「思い出せ!」って

「自分の強さをなめるな!」って

 

ずっと、そう言われているような気がして。

 

 

死を感じていたそのときに

 「生きることを、諦めてたまるか」

って、思ったのです。

 

 そして同時に

 「生きることって、強い」ってことを

刻み込まれたような気がします。

 

 

 「ひとって底なしに強いな」って

いつも思うんです。

 

どんなに苦しい思いをしても。

立ち止まって動けなくなっても。

 

そこから、だからこそと

生きていこうとしていける力がある。

 

そしてまた

生き直していこうとしていける強さがある。

 

 

なんて、強いんだろう。

なんて愛おしくて、たくましいんだろう。

 

 

 

「使命」って

命を使うって書く。

 

文字通り、私たちは日々

命を使っているんだと思う。

 

 

生きることも、命を使う。

食べることも寝ることも。

 

好きなことにも嫌いなことにも

同じように命を使っていく。

 

 

じゃあ、これからどんなことに

命を使っていきたいだろう。

 

 

 

生きることって、強い。

生きてるだけで、ものすごい。

 

そのあなたのいのちはこれから

どう生きていきたいと思っているだろう。

 

 

 

いのちは、いつもあるもの。

いのちは、いつかは終わるもの。

 

命を使う「理由」が本当にわかるのは

生き終わったときだと思う。

 

 

だから今は

自分の、誰かの、生きるしあわせの為に

私はいのちを燃やしていきたい。

 

 

 

誰しもの

「あの時の自分」は

いつも必死に生きていた。

 

こんなにも色々あっても

こうやって生きて生きて

生き抜いてこられた自分。

 

 

それこそ、自分の強さのあかし。

 

 

そしてその自分という力強い存在は

きっとこうも言っていると思う。

 

 

 

「なめんなよ、これからの自分をよ」

って。

 

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