苦しみの渦中にいるとき。
いつこの苦しみが終わるのかなんてわからない。
いつまでもいつまでも続く苦しみが
これからも続いていくことしか想像が出来なくなる。
でも、例えば、「そういえば」と今までを思い返してみる。
なにか大切なもの、大切な人を
誰かのなにかのせいで失ったとして。
その、誰かのなにかのせいで
大切ななにかを失った自分自身が
その大切ななにかを失ったあとから今までずっと、
確かになにかを「始めて」きたんだと思う。
その「始めて」きたことは
なにかを失って「終わり」を迎えたからこそ訪れた「始まり」で。
そこから「始めて」きたことは
いつかきっと「終わり」を迎えるんだとも思う。
先日、ある女性の今の状態をタロットで占った。(書く許可は頂きました)
彼女は大切なものを失わざるを得ない過去の出来事から、人を恨む気持ちを抱えつつ、その恨む気持ちは変わらないままも、そこからあることを「始めた」人だった。
そしてわたしが占ったとき、確かにその出来事は「終わり」を迎えたというカードが出てきた。
その意味を伝えたら、
「恨みの気持ちは変わりません。でも恨みのその先が、もう見えたんです。」
と言っていた。
そして、
「この気持ちは多分終わらないかもしれない。でも、なんだかなにかが、終わった気がするんです。やっとわたしは自由になれる気がします。」
そう言って、眉間にしわを寄せた顔から最後は笑顔になってくれた。
彼女の動向は知っていたから、その悲しい出来事もわたしは知っていて。
どう自分がこの人にタロットや伝える言葉で役に立てるかと考えたとき、その人は今に至るまで、ありのままの事実を受け止めていたことに気が付いた。
どうにも出来ないことに対して、その出来事に飲まれながらも懸命に、少しでも「どうにかする」ことを始めた人だった。
結果的にその出来事は、ひとつの落としどころに落ち着いた。
だが、問題のすべてを解決できるまでには至らなかった。
悲しい過去と、苦しい感情をすべて解消することはできなかった。
それでも。
彼女はどうにも出来ないことでも「どうにかする」ことを選び、その時の精いっぱいを解決に向かって始め、そして動き続けていた。
悲しく苦しい感情を抱えながら、ときに休み歩みを止め、そして自分にできる何かを探して、探して、探して、行動し続けていた。
最終的にたどり着いた、「恨みのその先」の終着点。
そこは、彼女が始めようと懸命に動かなければ、到底たどり着くことは出来ない場所だった。
・
・
失望・悲観・憎悪・遺恨・絶望。
一生を生きていく上で、わたしたちは心地いい感情ばかりを経験するわけじゃない。
変えたくとも変わらずに残っている感情もあれば、死ぬよりも苦しいなにかを背負うこともある。
「全てが必然だったんだよ。」
「しょうがなかったんだよ。」
人に吐露したときのなぐさめのそんな言葉。
そんな上っ面の言葉でくくるなと、思うこともある。
苦しくて悔しくて、でもどうしようもなくて、どうにかこうにかその終わらせ方を考える。
でもどうしても、その終わらせ方が見えないときもある。
そこから先に進まないことを決め、留まることを始める選択肢もある。
進まずに、その場にただ立ち止まり、自分との歩幅を合わせていくこともできる。
歩みを進めることが出来るその時まで、じっくりと自分との呼吸を合わせる。
そんな留まる時間が無ければ、わたしたちは日々流動するこの身体を保っていられないから。
そして、自分の中に吹溜まる醜悪な感情でさえ、わたしたちは胸の中に抱きながらも、「だからこそ」と何かを始め、その先へ進むこともできる。
確かに言えることがある。
なにかの「終わり」を抱えながら、なにかの「始まり」の道を進むことで、
いつかかならずそれは、本当の「終わり」を迎えることができる。
その終わりを「始められる力」が、わたし達にはもう既に備わっているのだと。
終わりの始まりを生き抜く力があることを、この命を始めたときから、わたしたちはもうすでにそれを知っているのだと。
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