そこからこそ|生きる強さという安心感をあなたに。

「わたしは弱い」を「だからこそ強い」に変えるアトリエ。

立ち止まることは、自分に還ること。

 

「立ち止まる」って

「自分に還ること」だと思う。

 

 

去年から

ひきこもり当事者や経験者の方々と

一緒にお仕事をしています。

 

私も10年以上前

頑張りすぎて心と身体を壊して

強制的にシャットダウンしました。

 

 

寝たきりになり

外にも出れず人が怖くもなり。

 

それを自宅療養兼、

ひきこもり期間を過ごすことで

時間をかけて少しずつ

自分を取り戻していきました。

 

 

私にとっては

「たったひとりの私」を思い出す

必要不可欠な充電期間。

 

その後の人生の

大きな分岐点になりました。

 

 

 

今まさに、ひきこもりから

「よいしょよいしょ」と、

少しずつ自分の人生を

拓いていこうとしている人達がいます。

 

 

こちら側がなにかしてあげようとしなくても

ただ一緒に時間を過ごして、一緒に考えて。

 

そして少しずつ、少しずつ、

変わっていくんだと決めて変わっていくその姿。

 

 

立ち止まりながらも

自分の足元を確かめながら

次の一歩を踏みしめていこうとする姿。

 

 

その姿はやっぱり、底なしに強く。

 

たくましく愛おしいと思うのです。

 

 

 

ずっとずっと

動き続けられる人なんかいない。

 

あの時、立ち止まってみて初めて

自分がこんなにも息を切らして

歯を食いしばりながら走っていたのだと気が付いた。

 

 

立ち止まったとき

私の横をスイスイっと通り過ぎていく人達を見て

「早いなぁ」って思った。

「そんなに早かったら疲れちゃわないかな」って。

 

 

そこで

「あ、私のいた世界は、私にとっては早かったんだ」

そうわかったのでした。

 

 

 

 

ゆっくりと過ごした「ひとり」の時間は

散り散りバラバラになった自分の欠片を

一個一個、確かめていく作業のようでした。

 

 

足を止めて

ゆっくりと周りを見渡してみると、

 

そこへ広がっていたのは

自分を置いて行ったりしない

どっしりとした「ただそこにある」世界でした。

 

 

 

止まることは、確かに怖くもあって。

 

止まったら、周りに置いていかれそうだと

思ってしまうときもある。

 

 

でも

自分以外の何かに合わせて走り続けてたら

苦しくなるのは、当然だもんね。

 

苦しいまんま走り続けてる自分が

一番に苦しいんだから。

 

 

その苦しい自分を

自分が救ってあげなければ

誰が救ってくれるだろう。

 

 

 

だからさ、立ち止まって良いんだよ。

 

もしも全速力で毎日を突っ走っていたのなら。

もしも進まなければと息を切らしているのなら。

 

あえて立ち止まって、良いんだよ。

 

 

そしてゆっくりじっくり

ひとりの自分の「生きている実感」を

思い出していけばいいんだと思う。

 

 

 

立ち止まるということは

本当の自分の速度に戻る時間。

 

本当の自分を思い出す

「自分に還る時間」なんだと思うのです。

 

 

最近ね、

「いのち」を感じる絵ばかり描きます。

 

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