そこからこそ|生きる強さという安心感をあなたに。

「わたしは弱い」を「だからこそ強い」に変えるアトリエ。

「ずっと抱きしめて欲しかった」大人になってから両親とハグをする理由

 

両親に「抱きしめて欲しい」
父親に「抱っこしてほしい」
母親に「頭をなでて欲しい」

そう思い始めたのは、成人をとうに過ぎ、30代を迎えた頃だった。

正確にいうと、「抱きしめて欲しい」という気持ちを「自覚」したのは。

 

両親に抱きしめてもらうに至ったきっかけ

20230505061822

そもそものきっかけになったのは、私のメンタルの危機だった。

自分ではもうどうしようもできない状況に追い込まれて、今までに到底なったことのない自分になってしまっていた。

小さい子供のように暴れて、小さい子供のように大きな声を出して、赤ちゃんのように泣き喚いた。

 

ある日、そんな泣き喚く私のとなりに、いつもはドライな父が座って、肩をとんとんと叩いて、落ち着かせてくれた。

そのとき、ものすごくうれしい感情と、涙と共に、体中から声がした。

「ずっとこうしてほしかった」と。

 

愛されていたけど、愛してもらいたかった

内観や瞑想、心のことを学び始めて6年ほどになる。

気付いたときには、私はいつもどこか生きづらかった。

他の人間と噛み合わない感覚、社会と噛み合わない感覚、世界と噛み合わない感覚。

そして地球にいることが何となく違和感で、地球のシステム(お金を稼ぐとか、社会の一員として生きるとか)が、頭で理解は出来ても、「そういうものだ」と自分に落とし込むことが出来ないで、そのまま大人になっていった。

 

「この生きづらさはなんなんだろう」と思い、それをどうにかしたくて、心のことを学び、内観や瞑想を始めた。

そして、自分の内側を見つめ続けていくうちに、自分の中にいる小さな自分、いわゆる「インナーチャイルド」の悲しみを感じることが多くなっていった。

それは、両親に対しての「もっと愛してほしかった」「許して欲しかった」「さみしかった」「こわかった」「かなしかった」という感情たちだった。

 

20230505061805

 

私は、世間でいう一般的な幸せな家庭に育ったと思う。少し違うところは、転勤族で幼稚園も小学校も中学校も「みなさん、はじめまして」から始まっていたりはしていたけども。

それでも、両親からは愛されていた、のだと思う。

実際、実家には整理しきれないほど家族の笑顔の写真はあるし、抱っこされていたり手を繋いでいる写真だってあった。

 

状況としては、愛されていたし、今も愛されている。

ただ、なぜかいつも不安で、満たされなくて、欠乏感があった。

どんなに愛情を与えられていても、「愛されているという実感」が乏しかったんじゃないかと、今になってみて思うのだ。

 

抱きしめて欲しいの根っこには、「愛されたい」があった

あるとき、心理セラピーの一環で、子供の頃の家族の姿で印象的な風景を思い出し、絵に描いてみたことがあった。

父は会社に行こうと玄関を出ようとしている。母は台所で料理を作っている。そして子供の私はその二人の様子を、部屋の少し遠くの方から眺めている、という風景だった。

 

毎日仕事に忙しく、平日は朝早くに出勤し、私が寝た後に帰ってくる父。

結婚後すぐに引っ越し、すぐに出産、子育て、という目まぐるしい変化に対応していく母。

小さい私は、ふたりの親の姿を、どんな気持ちで見ていたのだろう。

 

たとえば、虐待だとか、機能不全家族とか、そういう形では一切なくとも。

世間から見ても、自分から見ても、「幸せな家族」であったとしても。

「私は愛されていた」と、たとえ思えていたとしても。

それでも「もっと両親に愛されたい」「もっと愛してほしい」「愛してほしかった」と思うことは、しばしばよくあることなのだそうだ。

 

不安でたまらなくて泣きじゃくっているとき、肩をとんとんとしてもらって安心した自分。

「ずっとこうしてほしかった」と思った自分は、それをずっと望んでいた、子供の自分だったのだ。

 

「愛されているんだ」という「安心感」が欲しかった

父もまた私のように、「愛されているという実感」をよく知らなかったのかもしれない。

だからこそ、「愛情の示し方」も、よくわからなかったのかもしれない。

 

仕事も、勉学も、父はとても優秀だった。

優秀であること、よく出来た自分であること、お金を稼げる自分であること、地位のある自分であること。

それらを持つことが大人や周りに自分を認められるということなのだ、と思っていたのではと、父の子供なりに感じていた。

そして、私になにかいいことがあったときは、物を買ってくれた。

不器用で頑固な団塊世代よろしくな性格だったからか、なおさら「ものを与えること」で、愛情を示してくれようとしていたのかもしれない。

 

でも、子供の私が一番に欲しかったのは、「もの」ではなかったんだと思う。

「愛されているんだ」という「安心感」が欲しかったんだ。

 

20230505061744

 

「おとうさんが、肩をとんとんしてくれた」

ただそれだけが、ものすごく、ものすごく、嬉しかった。

そこで、30代になってやっと、私は父の子供だったんだと思えた気がした。

 

そして、「抱きしめてほしかった」「頭をなでてほしかった」

そんな想いが抱かれていたことにも初めて気が付いたのだ。

 

子供のときの「こわい」を今も引きずっている大人

大人になった今では、子供のころに感じていたあれこれを鮮明に思い出すことは難しい。

でも、当時感じてきた様々な感情は、たくさんの蓋をされて、心の奥の奥に、大人になった今でも、そのままの形でずっとため込まれている。

 

「見捨てられたらどうしよう」
「許されなかったらどうしよう」
「嫌われたらどうしよう」
そんなことになったら、「死んでしまう」

親に見捨てられる恐怖というのは、子供にとって、「生きるか死ぬか」くらいの脅威がある。

たとえ一般的に幸せな家庭であったとしても、全くその恐怖を感じない、ということはないのだ。

 

親に悪気がなかったとしても。子供の思い込みや勘違いだったとしても。

固まる前のコンクリートに足跡が付いて、そのまま固まってしまうように。

子供の頃に感じた「こわい」という感情は、大人になってもそのまま残っている。

そしてそれが、大人になってから生きづらさとして、人生に反映されもしてしまう。

 

子供だったことを、大人になったときには忘れてしまう。

もう30代だ。すっかり自分は大人なのだと思っていた。だけども、それは少し違っていた。

 

今の私は、子供の頃の「こわい」を今も引きずっている大人なのだと気づいたのだ。

20230505061924 

過去を悲しむことは、自分を苦しめること

でも、少なくとも私個人としては、両親を責め立てる気持ちは無くって。

確かに、生きづらさの原因が少なくとも親に関係していると知ったときは、怒りや悲しみが湧いて止まらなくて、どんどんと過去に飲み込まれていった。

「過去のあれが原因だ」「あのときこうされたことが悲しかった」そう両親に伝えたり、感情が爆発したこともあった。

 

そしてあるとき、それを続けていても何も解決しないのだと気づいた。

過去を悲しんでいる今の私は、ただただ、「過去」しか見ていなかった。

 

つまりは、悲しかった過去をずっと追体験し続けている、ということ。

過去を悲しむことで、自分を苦しめ続けている。

「こわい」を抱えている小さな自分を、延々と悲しい過去に居続けさせてしまっているのだと気づいた。

 

だからこそ、この自分の内側にいる小さな自分の願いを、今からでも叶えたい、と思うようになった。

 

子供の自分の願いを、大人の自分が叶える

20230505061917

 

小さい頃は「自覚」できなかった沢山のことが、大人になって、自分と向き合って、初めて「自覚」することができた今だからこそ。

「自分の望み」を叶えに行ってあげることが、子供の頃の自分にしてあげられることなのではないだろうか。

 

そうして、子供の頃からの「ずっと抱きしめて欲しかった」を叶えることに決めた。

そして多分、大人になって両親とハグをすることって、小さい頃からの習慣、とか、それなりに経験がないとハードルが高いことだと思う。

そのとおり。ハードル、最初はすごく高かった。

その為に取り組んだのが内観だった。

 

ただ、私のやっている内観法は少し特殊で、いわゆる感情の解放系とも少し違っている。

わかりやすく言うと、「自分にくっついている重いもの、不安なもの、こわいものから、まるっと出る」というもの。

この方法をやり込んでいった先で、めちゃめちゃ大きなハードルだと思っていた「両親に抱きしめてもらう」を、無事に叶えることが出来たのだった。

(↑この内観法は、今後提供できるようにしていくつもり)

 

ずっと抱きしめて欲しかった両親に抱きしめてもらった結果

「抱きしめてもらう」ことは、なんてことのないものだった。

拍子抜けするくらい、すぐに受け入れてもらえた。

この「受け入れてもらえたこと」が、まず嬉しかった。

抱きしめてもらっている数十秒、「なんでこんななんてことのないことが、ずっと出来なかったんだろう」と思うと同時に、「やっとここまでこれた」という気持ちが湧いていた。

 

そして、自然と涙が出ていた。

言葉では表せられない何かが、涙になって流れていた。

 

大人になって両親とハグをする理由

子供は、自然と親に抱っこをせがむ。

その理由は、抱っこをして欲しいから、ただそれだけなのだ。

 

安心感を得たいとか、戻ってこられる場所を再確認したいとか、スキンシップによる精神的な安定を得たいとか、そんな小難しいことはわざわざ考えてもいない。

 

抱っこしてもらいたいから、抱っこしてもらおうとする。

そんなシンプルなことなのに、いつの間にかそれができなくなってしまうのは、大人になるにつれて、いろいろなしがらみを知ったからこそ、仕方のないことなのかもしれない。

 

じゃあ、いま自分が、無垢で何もしがらみのない子供だったとしたら。

私が両親とハグをする理由は、もしいま自分が小さい子供だったら、本当は何がしたいか。それを選択しているから。ただそれだけなのだ。

 

今でも、ふらっと両親とハグをする。

ふわっとした安心感が身体の中にひろがる。

満足したら、ふらっと離れる。

そして、いつもの大人の自分に戻っていく。

 

私たちはどんなに大人になっても、いつでも子供に戻ることができる。

子供に戻って、子供の自分をやりなおすことが出来る。

 

私は幸運にも、その機会を与えられている今だからこそ。

大人の私は、子供の私を今一度、やり直しているような気がしている。

 

大人になると、どうしても「親に何かをしてあげられるように」なろうとするのかもしれない。

それはとても素晴らしいことだから、それを否定するつもりもないし、そんな大人になれたらいいなぁとも思う。

 

でももし、親に「こんなことをして欲しかった」というものが自分にあって、もし、それが今でもやろうと思えば出来る状態であるのなら。

大切な今のこの時間に、できるならばそれを叶えてあげて欲しいと思う。

 

それはきっと、あなた自身の望みでもあるし、そして、あなたの親自身の望みでもあるのだとも思うからだ。

「あなたに、幸せであって欲しい」という。

 

20230505061905

 

 

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想いを形にしたいなら、あえて「待つ」。

20220508123028


想いをなにかの形にしようと思うとき。

「自分にこれを形に出来る力があるんだろうか。」
「気持ちはあっても、どう周りに見られるかが怖くてたまらない。」

強い想いがあってもなぜだか先へ進めない、そんなときがあるかもしれない。

そんな「なぜだか先へ進めない」ときに試してほしいことがある。

とりあえず、自分の為だけにスタートを切ってみる

想いを形にしたいときって、自分の中に燃えるようなエネルギーが渦巻いている状態。

でもこの燃える炎のエネルギーは、時間がたったら小さくなったり、消えてしまうこともある。


心の奥底ではきっと、その燃えるようなエネルギーをどうにか形にしたい。

この身体の奥からの叫びを、想いを、形にしたいと願っている。


だから、生の、熱い炎のままに想いを形にしたいのなら。

とりあえずやって、やって、やってみる。
わき目もふらずにとりあえず動いてみる。


やって、やって、やって。
とりあえず、それだけを、してみる。


どんな形になったっていい。思ってた形にならなくたっていい。

その瞬間の「生のわたしの感覚」を「このわたしの為だけ」に形にする、そのためのスタートを切ってあげる。


どんなに熱い想いを持っていても、胸の中に秘めた見えない情報のままでは、悲しいことに何も変わらないこと、どこかできっとわかっているはず。

でもでも、形にするって怖くて、誰かに見られるって怖くて。

自分の想いを目に見えるものにするときって、怖くて。


それでも。

自分の叫びって、自分にしか聞こえないから。

自分の想いって、自分でしか気づけないから。

自分の想いを形にすることって、自分ででしか出来ないことだから。

20220508123037



まずはやって。やってやってやってみる。

誰に見せなくてもいいんだ。


自分に献身的に、これでもかこれでもかと。
 「自分の為だけに」動かす、動き出してみる。


そのやってみるを繰り返しているとき、ふと手が止まる時がある。

「あれ、自分って何を形にしようとしてたんだっけ。」と。


そして、その時の自分の想いが落ち着き、自分を突き動かす感覚が感じられなくなったとき。

ここでものすごく不安に襲われることがある。


「あれ、これからどうしていけばいいんだろう。」
「進まなければと思えば思うほど、なぜだか進まなくなってきた。」と。


このタイミングで、不意にその気持ちは「焦り」に変わっていくことがある。

動かねばと焦ったら、「待つ」 

20220508123042


なんとか動き続けなければ、なにも変わらないような気がする。

でも、そういうときっていくら動いても、なんだかうまくいかなかったりするもので。

このとき、元々の「形にしたい想いで動いていた」自分が、「形にしなければいけないから動かざるを得ない」自分になってしまっている。


そこであえて、「待つ」ことをしてみる。


素直に待つことは出来ないかもしれない。

時には地団太を踏みながら、右往左往しながらになっても。

あえてそのままに、待つことをしてみる。


早くどうにかしなければと、何度も何度も思うかもしれない。

それでも、あえて形にしようとしていたものからふっと視線を外してみる。

注目して注力して見続けていた世界から、自分とその外側の世界へと視線と意識を向けてみる。


ぎゅっと固くなった部分をゆるめるように、視界を外側に広げ解いていく。

そして自分が「動かなきゃいけないから動こう」ではなく、「動きたいから動こう」と自然に思えるまで、ゆっくりと待つ。


その待っている時間の中でも、実は形にしようとしているものは刻一刻と変化している。

じっと動かない間でも、粛々とその想いは発酵を重ねていく。


そして気が付いたら、抱いている想いは今までと違った香りを放つことに気がついていく。

その香りの変化こそが、想いが形になっていく次のプロセス。


想いを形にすることは、形になることが到達地点だとは限らない。

葛藤を前に立ち止まり踏みしだいた足元が、想いの形に練りあがっていることもある。


そして、形にしようとする想いと形になった姿は、かならずしも一致しない。

一致しないからこそ不意に出来上がったその形は、自分の想定の範囲を大きく超えてくることがある。

 

20220508123028


以前、人に見せる作品をつくろうと、溢れる想いを形にしようとしていたとき。

作り始めたときとその最中、そして形にし終わったその過程の中で、自分自身に変化が起きていたことに気が付いた。


最初の情熱のままにやり続けることは、並大抵の力では難しい。

我武者羅に手を動かして、動かしたいけれど次第に動けなくなって。

途中から「動かねば」と頑張り続けていた自分がいたことに気が付いた。


気付いたら葛藤しているし、やり続けていても葛藤するし、葛藤し出したら動けなくなるし。

「あーもう!どうしたらいいんだー!」って、よくわかんなくなっちゃって。


そしてあるとき、いっそのこと自分が自然と動き出せるまで待ってみることにしたんだ。

今まで形にしようと動いていたときには出来なかった、小さなやりたかったことを「待つ」ことを口実にこの際やってみたり。


待っているときって、やり続けているとき以上に不安を感じる。

それでもあえて時間をかけて、その場から別の方へと目を向けてみる。

やらなきゃと焦る自分に気付いて、自然と歩みだせるまで待ってあげる。


待つ。

怖いけど、待つ。

この機会にと全く別のことに気を取られてみる。 

そういえばと待つ。

今まで気が付かなかったけど、こんな風に見えるんだって別の景色に気が付く。

時間をかけて自分を解いていく。

待つ時間を何気なく過ごす。


そうして待っていたら、自分でも驚くほどに「ふっと」動き出せるタイミングが訪れた。

 

想いを「待つ」ことは、自然な自分に帰る時間 

「今でしょ。」と動き出せた自分は、動かねばと頑張っていたときとは違いスムーズに進み始めた。

元々の「自然な自分」に戻ってきた感覚というか。


「形にしたい想い」と「形にする今の自分」が一致した感覚を感じたんだ。


動かなければと力づくで動かそうと思えば思うほど、自分は苦しく、疲弊していく。

そこであえて、意識を離し、少しずつの変化を待ち、時間の経過を過ごし、自分を受け入れていくことをする。


「自然な自分」は、自然であろうとすればするほど「不自然な自分」になっていく。

この「自然な自分」へ戻る時間こそ、「待つ」ことなんだと思うんだ。


最初の想いを形にすることにこんこんと力を注ぎ、次第に移り行く自分の変化に気づいていく。

そして一旦そこから離れて、身の周りの景色に新たな気づきを得ながら、ゆっくりとじっくりと変化を待ち、行方を見守っていく。

その自分を受け入れていく。


そしてまた、新たに動き始めていける自分を信じて。

--

表現し、形にすることは、自分を生きていくことと一緒だなと思う。

形にすることは、楽しいことばかりではないかもしれない。

ときには苦悩のときを過ごし、迷路の中に迷い込んだりもする。


「ここにはもう出口なんかないんじゃないか。」
そう思うときもあるかもしれない。

でも確かに、あなたの形にしたい強い「想い」がどこかにきっとあるはずなんだ。


想いを形にしたいと思うとき。


自分を生きるように、どんな変化も、そしてどんな変わらない状況をも受け入れ、そして止まり待つことをあえてする。 


そんな静と動、有と無が、静かな抑揚となって。

唯一無二のあなたの「想い」という形のないものを形作ってくれるのだと思うんだ。

20220508133019

「輪郭 / outline」


アルコールインクアート
artwork:70×70×4mm
2021


(2019年の記事を再編集しました)




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出来ないことを出来るようにと頑張る前に。

 

自分には何が出来るのかと
ずっと考えてきました。

どうしてこんなに出来ないんだと
何度も悩んできました。


一般的な人よりも、おそらく
出来ること・出来ないことの差が大きい。

両極端を抱えた人間だと思っています。


「何でこんなことも出来ないんだろう」
「なのに何でこれは出来るんだろう」

出来ないことを出来るように
死に物狂いで頑張ったときもありました。

ある程度は出来るようになりました。
でも、続かなかった。


だから、今出来ることの方に
目を向けていきました。
⁡⁡

20211110220436


人よりも時間がかかるからと
早く出来る人間になる必要はない。

時間をかけて成し遂げる人間になればいい。


人よりも体力が続かないからと
食いしばって周りに合わせる必要はない。

使える力の中で、充分を発揮すればいい。


出来ること、没頭してやり過ぎてしまうことを
無理に止める必要もない。

今の自分の流れを受け入れ、冷静に導いてあげること。


これを自分に染み込ませるまでに
何年も何年もかかりました。

何回も何回も
それを思い出させる出来事が起こりました。


まだ、癖で
出来ないことを出来るように
焦って必死に頑張ろうとするときがあります。

私らしいなぁと思いながら
丁寧に、軌道修正を繰り返して。

何かが劇的に変わったわけではないけど
何かがじりじりと変わったような気がします。

20211110220514

 

出来たんだ。また、出来たんだ。
出来るんだ。もう、元々から。

それに気づけることが
積み重なっていきました。


出来ないことを出来るようにする前に。

自分にとっての無理難題を克服しようと頑張る前に。


私は、私の出来ることを。
生き生きと。これからも。

 

あなたも、あなたの出来ることを、これからも。

20211110220451

 

「Fly-Flow」P8 panel
ほんとうは、もう自由。

 

 

 

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うまく言葉に出来ないときは、気持ちを受け止めるだけでいい。

 

 

伝えたいことがあります。
だから、言葉にしようとします。

でも
「そうか」と認めるだけ。
「ふむふむ」と受け止めるだけ。
そのまま心に置いておくだけ。

無理に言葉にしようとしたり
気持ちを相手に伝えようとしなくとも。

うまく言葉に出来なくていい事も
たくさんあると思うんです。
 

f:id:sokokarakoso:20210312200948j:image


 

 

私にはずっと、言葉にしなきゃと
必死に絞り出していた時期があります。
 
伝えたい気持ちはこんなにある。
 
でも、いろんな人がいろんなことを言う。
頭の中でいろんな言葉が飛び交う。
 
「これを言ったら嫌われないか」
「これを伝えたら傷つけてしまわないか」
 
不安で言葉がのどの奥につまる。
胸の奥、お腹がぎゅうと苦しくなる。
  
 
どれが本当の気持ちなのか
どれが自分だったのか
わからなくなって言葉にならなくなる。
 
言わなきゃ。伝えなきゃ。
こんなに伝えたいのに。
でも出来ない。なんで出来ない。
いつもいつもいつも。なんで。
 
とても苦しかった記憶があります。


 
f:id:sokokarakoso:20210312200815j:image
 
でも最近、むしろ
言葉にならないものに
私はとても救われています。
 
あぁいいなぁと感じる。
あぁかわいいなぁと感じる。
幸せだなぁと感じる。
 
それだけでいいな。と思いました。
 
 
そのときの自分が、それだけでいいなら
きっとそれだけでいいんです。
 
写真を撮ったり、むりやり文章にしたり
伝えようと言葉を考えたり
何かにしようと必死にならなくても。
 
そのときの自分は自分に
ただ今の気持ちを受け止めてほしいだけ。

ただ今の気持ちを
感じていたいだけなんだと思います。


良いことも、嫌なことも。
嬉しいことも、悲しいことも。
 

f:id:sokokarakoso:20210312200754j:image


 

 

しようとしなくても
そのうち自然と溢れて
自然と動きたくなって動いて
自然と見えてくるものもあるもので。

自分の気持ちに
ひと言ひと言、耳を傾け続けて。
 
そこから怖くても少しずつ
「相手に伝える」ということを重ねて。

「あんたはあんたでしょ」と
受け止め続けてくれた人たちがいて。

今ではゆっくりと、まっすぐに
本音を伝えられるようになりました。

 
私たちの出来ることは
なにかをすることだけじゃなく。
 
目標のために
実現し続けていくことだけじゃなく。
 
「そうか」と認めるだけ。

「ふむふむ」と受け止めるだけ。

そのまま心に置いておくだけ。

時間に身を任せておくだけ。
 
それだけでいいことも
沢山あると思うんです。 
 
--
 
そんなわけで
絵のタイトルを2ヶ月寝かせていたものの
未だはっきりとした言葉が浮かびません。
 
せっかくなので
浮かばないまま載せてみようと思います。
 
もし、なにか浮かんだものがありましたら
とても嬉しいです。

 

f:id:sokokarakoso:20210312200918j:image

 

 

 

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--

 

【あなただけの作品をつくります】

アルコールインクアートをメインに
あなただけの作品を創作します。

あなたから受け取った
インスピレーションを始め、

あなたの日常に
少しでも癒しや元気を加えられる
そんな作品作りを目指しています。

※次回の受付は未定です。

 

--

 

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今、一番に大切なこと。

 

 

疲れてませんか。
しんどくありませんか。
ほんとは、無理していませんか。

嘘をつかなくていいんだよ。
もう耐えなくていいんだよ。

いまのあなたが
いちばん大事。

f:id:sokokarakoso:20201203195138j:image



やさしい人が壊れていく必要は
どこにもない。

鈍感な人だけが生き残っていく必要も
どこにもない。


「もっと強くならなきゃ」
「もっと頑張らなきゃ」
って、ついつい思っちゃうけど。

強くならないと、幸せになれないわけじゃない。
頑張らないと、幸せになれないわけじゃない。

憧れる「何か」になれば
幸せになるわけじゃない。


どんなあなたでもいい。

弱くたって、凹んでたって
かっこ悪くて無様で恥をかいて
涙でぐちゃぐちゃになっていたって。

そのあなたは
いまを一生懸命に生きている
正真正銘のあなただ。

それ以外になにがある。

 


弱いなんて、誰かが決めたものさしだ。

かっこ悪いなんて、誰かが決めた価値観だ。

無様で恥なんて、いつの間にか刷り込まれた思い込みだ。

 

f:id:sokokarakoso:20201203195204j:image


自分を変えることが幸せじゃない。
自分を変えたら幸せになるわけじゃない。

いまのあなたを大切にしてあげること。
いまのあなたでしあわせは感じられる。


「いつか」しあわせになるために
「今」何かを頑張るんじゃなくって。

「今」のしあわせがひとつひとつ繋がって
「未来」のあなたもしあわせになる。


だから
今のあなたが
今、幸せを感じられることが
今、一番に大切なこと。

あなたが幸せであることが
みんなを幸せにする。
みんなを幸せに出来る。


まず、じぶん、
まず、あなた。

 

いまのあなたが
いちばん大事。

 

f:id:sokokarakoso:20201203195249j:image

 

 

 

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あなたが今まで生き抜いてきたという事実。


 
あなたがここまで必死に生きていることを
他の人は知らない。
 
あなたがそこまで一生懸命に向き合っていることは
他の人にはわからない。
 
あなたがこんなにも傷付いていても
他の人には感じられない。
 
 
知ることはできる。
理解することはできる。
寄り添うことはできる。
手を差しのべることはできる。
見守ることはできる。
 
でも、あなたと同じように
感じることはできない。
 
これは事実。
 
 
だからこそ。
 
あなたがこんなにも必死に生きてきたこと
これは事実。
 
あなたがそこまで一生懸命に向き合っていること
これも事実。
 
あなたがこんなにも傷付いていること
これも事実。
 
 
その事実は変わらない。
 
 
あなたのその身体は
今日まであなたを守ってきてくれた。
 
あなたのその思考は
いつもあなたをサポートしてきてくれた。
 
あなたのその心は
いつもあなたに生きることを教えてきてくれた。
 
あなたの魂は
ずっとあなたの背中を押してきてくれた。
 
これも事実。
 
 
あなたは
あの日、生まれてきた。
今日まで生き抜いてきた。
 
泣きながらでも
歯を食いしばりながらでも
悲しみに押しつぶされそうになっても。
 
ずっとずっと
あなたのちからで。
 
 
突き破って。
這って。
空を向いて。
立ち上がって。
息の根を止めることなく。
 
 
全部全部
事実だ。
 

 

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今までに何回も、苦しみを乗り越えてきたあなただから。

 

今、もしかして
とても悲しいのなら。
とても悔しいのなら。
とても不安で仕方ないのなら。

 

 

良いことも、悪いことも
生きていれば何回も巡ってくる。

今までにも何回も
何回も何回も何回も

それをあなたは乗り越えてきた。

 


あの人にとやかく言われてもいい。
その人に迷惑をかけてもいい。
この人を哀しませてもいい。

その【誰か】に合わせる必要もないし
【誰も】あなたの邪魔をする筋合いはない。

あなたは
あなたが幸せであるために
今日も生きていればいい。

 

 

今、もしかして
とてもかなしいのなら。
とてもくやしいのなら。
とても不安で仕方ないのなら。

あなたは今までのように
今、【またひとつ】乗り越えている。

乗り越えている途中なんだ。

 

そんな自分を
どうか誇りに思って欲しい。



そしてまた
そのくるしみが
【明ける】ときが来ることを

今のあなたは知っている。
今までのあなたが知っている。


良いことも、悪いことも
今まで何回も何回も何回も何回も
乗り越えられてきたあなたなのだから。


f:id:sokokarakoso:20200805164751j:image

「明ける」

 

 

 

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