そこからこそ|生きる強さという安心感をあなたに。

「わたしは弱い」を「だからこそ強い」に変えるアトリエ。

『そうかい』なじいちゃん。

私の祖父は、ただただ『そうかい。』と、おだやかに受け入れてくれる人でした。

 

どこまでも人に、動物に愛され、

(ねこに犬にヤギにブタにニワトリにうさぎに数えきれないや)

そして、心から愛する人でした。

 

その姿は、暖かくたくましく大きくて、ずっとずっとわたしのお手本です。

 

 


二年前、一か月ほど祖父母の家に滞在して、
引っ越しの為の家の片づけを手伝っていました。


祖父母の家は、幼い頃から大好きな場所でした。

 

でも、確かに年を取った祖父母の今後の為、
この場所から、否応なく去らねばならない。

 

それには、大切な、思い出が沢山詰まったひとつひとつを
処分していかなければと。

 


その胸の内には別け切れない葛藤や、どうにもならないことへの絶望感がありつつも、

 

でも、それを表に出そうとはせず、我武者羅に手を動かし、
「しょうがないから」とごみ袋に詰めていく後姿。

 


その姿の奥底には、見えなくとも確かに燃える炎がありました。

その姿はまるで、立ち昇るけむりのようでした。

 

 


当時の私はどうにもいたたまれなくて。

その情景を直視することが出来なくて。

 

でも、心の奥底、魂から湧き上がってきたのは

作り手として自分がこの情景の中で生きて、作品に昇華させるのだという決意でした。

 

 

その頃の祖父はもう半分天国に行っていました。

 

周りが作業の手を進める中、祖父はいつもの椅子に腰かけて、
お気に入りの帽子を優しくなでていました。

 


石油ストーブに当たりながら、

「じいちゃん、わたしじいちゃんが大好きだよ。」

大人になって初めて、口に出してそう伝えると、

 

じいちゃんは『そうかい。』と、ただただ笑ってくれました。

 

 

 

先日、その祖父の一周忌でした。

 

 

 

当時、滞在から帰宅してからすぐ、
じっくりと時間をかけて、祖父の生き様、その情景を、自分にトレースしていく日々。

 

この中で生きて形にするのだと、まるで何かに動かされているようでした。

 


無事にそれが形になり、祖父に見せることは叶いませんでしたが、
作品として祖父母の住む地でも発表することが出来たとき。

 

その舞台を見届けてくれた親戚のお姉さんに、

「かなちゃんは、愛されるために生まれてきたんだと思ったよ。」

そう言ってもらえたのです。

 


「昇華」として作っていたものがいつしか、

自分が「愛されていること」を私自身に教えてくれるものになっていました。

 

 


作品の最後は、元いた場所からから離れ、

そしてもう一度生まれる姿を踊りました。

 

 

 

あぁ、じいちゃんからとてつもなく大切なものを
いっぱいいっぱい気づかせてもらったなって。

 

一年経って、改めてそう思います。

 


「じいちゃん、またゆっくりゆっくり進んでいくから
これからも見守っててねー(´▽`)ノ」

『そうかい。』

「うん(´▽`)」

 


おだやかな春の日は、あたたかなじいちゃんを、

おだやかにあたたかく感じます。

 

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