そこからこそ|生きる強さという安心感をあなたに。

「わたしは弱い」を「だからこそ強い」に変えるアトリエ。

「言葉になる」ということ。

 

想いを伝えることを

言葉を表現することを

 

どこまでも諦めたくないみたいだ。

 

そんな自分に降参することにしました。

 

 

今日は節目の日になりそうなので

思うことを綴ろうと思います。

 

 

物心ついた頃から

口下手な自分を悩んでいました。
 
言いたいことがある。
伝えたいことがある。
 
あっても、

言葉にして伝えることがとても難しかった。
 
  
 
頭からふかふかと湯気が出るくらい
どうにか言葉を絞り出して、
 
心臓が破裂するくらいにドキドキしながら
恐る恐る相手に伝える。
 
 
「もっと早く」とか、

「もっと簡潔に」とか、
 
わかってるんです、わかってるんですけど!

っていう葛藤。
 
 
 
胸や喉らへんに

ダムみたいにせき止める場所があって、

 

言いたい・伝えたい想いが大きければ大きいほど

 
せき止める抵抗が大きくなって

うっ!と苦しくなる感じ。
 
  
マグマのように溢れ出る想いを

どう言葉にしようかと

白目(°A°)になりながらいつも考えていました。
 
 


「こんなに苦しいなら

こんなに怖い想いをするなら

もう自分の気持ちを言うのをやめてしまいたい」

 

「言ったって、どうせ無駄だから」
 


何度もそう思って

人と喋れなくなったこともありました。
 
 
 
 
それでも、やっぱりね、伝えたかった。

たくさんたくさん、色んな想いを共有したかった。
 

 

相手に対しても

どんなに歪に見えるような感情でも

奥底の本音の部分を知りたかった。

 

そして

 

自分の想いを伝えることを

諦めたくなかった。   
 


 
あるとき、自己表現の道に出会えて
ほんとうにほんとうに、救われた。
 


踊りや舞台表現で
生きることを思い出させてもらって、

 

舞台や踊りを見てくれたお客さんに
 
「こんなことを感じたよ」
「こんな風に思ったよ」
 
自分が伝えられた何かがあったことで
そこから沢山の言葉をもらいました。
 
 
 
あぁ、生きててよかったなぁって、実感した。
 
  
 
 
沢山の人から頂いた言葉や想いに
くいっと手を引かれて、
 
ちょっとずつちょっとずつ

口や文字から

また言葉に出来るようになっていきました。
 
 
 
 
昨年から

生きづらさを感じている方へ向けた

ポータルサイト

 

生きることに役立てるようにと

本の書評を書いています。
 
 
私が書いた書評が

読者さんから著者さんへと伝わり

 

著者ご本人から

感謝の言葉を頂いたことがありました。
 
 


自分が言葉にして伝えようとしたものが
誰かの心に届いたり、
役に立つことが出来たんだと。
  
 
言葉にすることを、諦めなくてよかったと。
 
 
 
 
生まれてから私たちは
沢山のことを受け取って、言葉を知っていく。
 
 
受け取って、言葉になる。
 

 

 

もし今あなたが

伝えることを恐れているとしたら、

ちゃんとした言葉にしなければと

まずは焦らないで。
 


上手く伝えようとか

もっとわかりやすくとか

あの人と同じように伝えられるようになろうとか


思わなくていいんだよ。
 

 

そして

伝えたい自分をあきらめないで欲しいんだ。
  

 

 

あなたの想いは

あなたにしか表現できないもの。

 

他の誰にも伝えることのできない

あなたにしか伝えられないもの。

 


まずは伝えたい想いに気づいて、

見つめて、

受け止めて。


自分を諦めずに

小さい想いをひとつひとつ、植え続ける。

 

どんな形でも良い。

自分の外側に、小さく少しずつ発し続ける。

 

 


そうして「種」として植わった想いは

受け取った人の中で花開いて

 

自然と言葉に「なる」ものだと思うから。

 

 

 

言葉に苦しんでいたあの頃の自分に

 

「あなたの想いを伝えることを

諦めないでくれてありがとう」

 

そう伝えてあげたいと思います。

 

 

 

「想い」を思い出せるような作品を。

「言葉」を咲かせられるような表現を。

 

やっぱり諦めたくないから

この場を借りて改めて決意です。

 

さぁて、おもしろくなってきた!

 

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Instagram(インクアートとあなたへの言葉)

 

アルコールインクアートで紫陽花を描く。

 

気づけば、庭の紫陽花がみずみずしく咲いていました。

 

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最近インクアート用の新しいインクを買ったので、紫陽花色を描いてみる。

 

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気が付けば絵ばかり描いている最近です。

アウトプットの方向性が変わってきているのかなぁ。

 

言葉だけでは息苦しくなっていたので、嬉しい変化!

 

 

 

 

 

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Instagram(インクアートとあなたへの言葉)

 

信じてあえて見守ってくれることの心強さ。

『どうなったってあなたは大丈夫』
 
そう信じて見守ってくれることの、こころ強さったらないなぁ、と。
 
 
最近、ずーーーっとやりたかったインクアート(フルイドアート)をはじめました!


20190612183047  
自分が形にするというより、
色の広がりや混ざり方の自然な変化のゆくえが絵になる感じです。
 
 
靴下の色を描いていたつもりが、気づいたら天の川みたいになったり。
 
失敗かと思いきや、その歪さが味になったり。
 


思いがけない変化を眺め見守るのが、とっても面白いです♪
 
 
 
 
そしてふと思い出したのは、幼い頃のこと。
 


小さい頃の私は、
「自分で決める」ということをあまり経験してきませんでした。
 
 
「自分で決める」ことが気づけばものすごく大きなハードルで、
「そんな私の為に」と決定を下すのは親や周りの大人が多かった。
 
 
「自分で決める」経験が少ないからこそ
「失敗」することへの恐怖心が、成長するにつれどんどんと大きくなっていきました。
 
 
 
決めるなんて恐れ多くて。
 
失敗するなんて恥ずかしさの極みで。
 
 
 
そんな怖さの奥で、でも本当は「失敗」をしてみたかったんだと、
大人になってから気が付いて。
 
「自分の人生は自分で歩む」
 
そう決意して、決められる生き方から、自分で決める生き方に変えていきました。
 
 
 
「成功したって失敗したってあえて手を出さず
わたしのことを信じて、ただただ見守っていて欲しいんだ」と。
 
 
 
 
あえて見守るって、どきどきする。
相手の為についつい「こうだよ」って、手を出したくなる。
 
その手助けに救われることも沢山ある。
 
 
でもそれだけじゃなく、「きっと大丈夫」って信じて見守ってくれると
変化する方は安心して、思う存分、変わることを楽しんで行ける。
 
 
そしてその変化は、想定の域をぽーんと超えて
どこまでもどこまでも大きく広がっていく。
 
 
 
誰かに信じて見守ってくれることのこころ強さったらないなぁって、
自由な変化が生まれていく絵を前にしてじんわりと湧いてきたのでした。
 
 
 
 
自分以外に、こんなに自分に近い人なんていない。
 

これからもきっと沢山の失敗をするけど、身近な人、そして自分自身が、
「どうなったって大丈夫だよ」って自分を見守ってあげられること。
 
 
その身近な安心感と信頼感があると、失敗しても何かに気づく「余裕」が生まれて
「じゃあ次は」と次の一歩を続けていける。
 
 
 
何だか最近は、その自分自身に見守られている安心感が
涙が出るほどしあわせで、心地いい。
 
 
信じて見守るって、大きな勇気であり、大きな愛なんだ。

 

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『そうかい』なじいちゃん。

私の祖父は、ただただ『そうかい。』と、おだやかに受け入れてくれる人でした。

 

どこまでも人に、動物に愛され、

(ねこに犬にヤギにブタにニワトリにうさぎに数えきれないや)

そして、心から愛する人でした。

 

その姿は、暖かくたくましく大きくて、ずっとずっとわたしのお手本です。

 

 


二年前、一か月ほど祖父母の家に滞在して、
引っ越しの為の家の片づけを手伝っていました。


祖父母の家は、幼い頃から大好きな場所でした。

 

でも、確かに年を取った祖父母の今後の為、
この場所から、否応なく去らねばならない。

 

それには、大切な、思い出が沢山詰まったひとつひとつを
処分していかなければと。

 


その胸の内には別け切れない葛藤や、どうにもならないことへの絶望感がありつつも、

 

でも、それを表に出そうとはせず、我武者羅に手を動かし、
「しょうがないから」とごみ袋に詰めていく後姿。

 


その姿の奥底には、見えなくとも確かに燃える炎がありました。

その姿はまるで、立ち昇るけむりのようでした。

 

 


当時の私はどうにもいたたまれなくて。

その情景を直視することが出来なくて。

 

でも、心の奥底、魂から湧き上がってきたのは

作り手として自分がこの情景の中で生きて、作品に昇華させるのだという決意でした。

 

 

その頃の祖父はもう半分天国に行っていました。

 

周りが作業の手を進める中、祖父はいつもの椅子に腰かけて、
お気に入りの帽子を優しくなでていました。

 


石油ストーブに当たりながら、

「じいちゃん、わたしじいちゃんが大好きだよ。」

大人になって初めて、口に出してそう伝えると、

 

じいちゃんは『そうかい。』と、ただただ笑ってくれました。

 

 

 

先日、その祖父の一周忌でした。

 

 

 

当時、滞在から帰宅してからすぐ、
じっくりと時間をかけて、祖父の生き様、その情景を、自分にトレースしていく日々。

 

この中で生きて形にするのだと、まるで何かに動かされているようでした。

 


無事にそれが形になり、祖父に見せることは叶いませんでしたが、
作品として祖父母の住む地でも発表することが出来たとき。

 

その舞台を見届けてくれた親戚のお姉さんに、

「かなちゃんは、愛されるために生まれてきたんだと思ったよ。」

そう言ってもらえたのです。

 


「昇華」として作っていたものがいつしか、

自分が「愛されていること」を私自身に教えてくれるものになっていました。

 

 


作品の最後は、元いた場所からから離れ、

そしてもう一度生まれる姿を踊りました。

 

 

 

あぁ、じいちゃんからとてつもなく大切なものを
いっぱいいっぱい気づかせてもらったなって。

 

一年経って、改めてそう思います。

 


「じいちゃん、またゆっくりゆっくり進んでいくから
これからも見守っててねー(´▽`)ノ」

『そうかい。』

「うん(´▽`)」

 


おだやかな春の日は、あたたかなじいちゃんを、

おだやかにあたたかく感じます。

 

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あえてその決断をしたあなたへ。

 

 あえてその決断をしたあなたへ。

 

 

その決断に、どれほどの苦悩と葛藤があったことだろう。

 

「この決断は、果たして自分にとっての正解なんだろうか。」と

毎日毎日自分に問い続けた。

 

「この感情は、果たしてわたしの本心なのだろうか。」と

ひたすらにひたすらに確かめ続けた。

 

 

これが自分の今の気持ちなのだと確かになっても

外側からの揺さぶりに、なんどもなんども心を痛めて。

 

本当にこれでいいんだろうか。

とんだ無茶をしているだけじゃないのか。

もっと柔軟に考えれば解決できる術があるんじゃないか。

 

そういって、自分の中を行ったり来たりして。

それでも、この決意にこうして戻ってきた。

 

 

よくぞ、ここまでの決意に辿り着いてくれました。

よくぞ、自分の心に寄り添ってくれました。

よくぞ、今の自分を振り絞って生きてくれました。

 

 

その決断は、とても恐ろしいことで。

生きるか死ぬかぐらい、両極端に別れてしまうような。

 

だからこそ、とても頭を、心を悩ませて。

でもあえて今までから離れ、その先に進もうと決意をした。

 

 

その決断を、わたしは肯定します。

その決断を、わたしは応援します。

最後まで、その決断をしたあなたの味方でいます。

 

 

もしかしたら、意図した結果にならないかもしれない。

もしかしたら、またとやかく言われ続けるかもしれない。

もしかしたら、決断と全く違う方向に進むかもしれない。

 

そしてまた、心を痛めるかもしれない。

また、混乱の渦に巻き込まれるかもしれない。

 

 

 

それでも。

それでも。

それでも。

 

 

 

どんなあなたになっても、わたしは味方でいます。

どんな結果になっても、わたしはあなたを肯定します。

 

最後の最後まで、わたしはあなたとともにいます。

 

 

 

また、大きく揺らぐかもしれない。

ブレて自分を見失ってしまうかもしれない。

 

 

それでも。

大丈夫です。

 

 

また一緒に、「自分」へ戻っていこう。

一緒にまた、「自分」へ戻る道を探していこう。

 

 

苦しかったね。今も苦しいね。

不安でたまらないね。

 

それでも。それでも。

 

 

それでもその決断をして、進むことを選んだあなたへ。

 

 

 

わたしはあなたを、心の底から、誇りに思います。

 

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「終わりの始まり」私達は何かを終わらせることも、始めることもできる。

 

苦しみの渦中にいるとき。
いつこの苦しみが終わるのかなんてわからない。

いつまでもいつまでも続く苦しみが
これからも続いていくことしか想像が出来なくなる。

 

でも、例えば、「そういえば」と今までを思い返してみる。

 

なにか大切なもの、大切な人を
誰かのなにかのせいで失ったとして。

 

その、誰かのなにかのせいで
大切ななにかを失った自分自身が
その大切ななにかを失ったあとから今までずっと、

確かになにかを「始めて」きたんだと思う。

 


その「始めて」きたことは
なにかを失って「終わり」を迎えたからこそ訪れた「始まり」で。

そこから「始めて」きたことは
いつかきっと「終わり」を迎えるんだとも思う。

 

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幼い頃、夢を見ることが好きだったあなたへ。

 

そういえば幼い頃、夢を見ることが好きだったなと、ふと思い出した。

 

夢という名の妄想でも、その妄想の世界を駆け巡っているとき、言いようのないわくわくを感じていた、今よりもちいさなわたし。

 

形になることはないかもしれない。

でもそんなの、関係なくて。

 

ただ、その夢を縦横無尽にひろげていきたいと思っていたんだと。

 

 

とにかく小説が書きたくて、語彙も漢字もままならなくても、あこがれるファンタジーの世界を言葉にしていた。

大好きなアニメのキャラクターが、もし自分だったらって、妄想で手の先から魔法陣出したりもしていた。

 

 

子供のころだけじゃない。

大人になってからも、「夢」の定義は少し変わってしまったけど、それでも「こんな世界を見てみたい」って気持ちは、確かに、確かにあるんだと思う。

 

「こんな世界観を作りたい。」と、音楽からインスピレーションをもらって、頭の中で自由に舞い踊っていたりもした。

「この感じを伝えたい。」と、そんな目に見えない何かを形にしたくて、寝る間も惜しんでパソコンに向かい合った。

 

 

子供のころと、大人の自分とは、確かに違っている。

「もう子供の頃みたいになんて」と、大人の自分に不自由さを感じることもある。

 

いつかの夢物語が現実になることはない。

そんな現実を大いに学んできた大人の自分。

 

 

それでも、

 

 

そういえば、夢を見ることが好きだった。

そして今でも、「こんな世界を見てみたい」と思っている。

 

 

 

わたしはまだ、夢を見たいと思っている。

そしてわたしは今でも、見たことのない世界を見てみたいと思っている。

 

だとしたら、どんな夢を見てみたいだろう。

見たことのない世界を、どう作っていきたいだろう。

 

 

あなたは幼い頃、どんな夢を見ていましたか。

そしてあなたは今、どんな世界を見てみたいと思いますか。 

 

 

そういえば、今のわたしの夢がひとつある。

 

願わくば、子どもの頃の自分に聴いてもらいたい。

そして一緒に、その夢の叶え方を考えてもらいたい。

 

どんなに自由でのびやかなアイディアを教えてくれることだろう。

 

 

「今のわたしの夢は、幼いあなたを、今のわたしを、死ぬまでしあわせにすることだ。」と。

 

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